今回は、赤外線センサ分野の第一人者であり、赤外線に携わる方なら一度は参加されたことがある「赤外線アレイセンサフォーラム」を主催されている木股雅章 元立命館大学教授にお話を伺ました。赤外線分野の研究を始められたきっかけや赤外線イメージセンサ分野の現状と展望、光学業界に期待されることなどについてお話いただいております。赤外線に詳しくない方でも、赤外線が身近に感じられ、興味が湧いてきますので是非ご一読ください。
木股雅章(きまた まさふみ)
1976年:三菱電機株式会社入社 MOS LSIの研究開発に従事(~1980年)
1980年:PtSiショットキバリア赤外線イメージセンサの研究開発開始
1992年:ショットキバリア赤外線イメージセンサに関する研究で博士学位取得(大阪大学)
1980年~2004年:ショットキバリア赤外線イメージセンサとSOIダイオード方式非冷却赤外線イメージセンサの研究開発に従事
2004年:三菱電機株式会社退社。立命館大学理工学部マイクロ機械システム工学科教授に就任(就任後は同校にて赤外線イメージセンサと関連技術に関する研究開発を継続)
2010年:独立行政法人宇宙航空研究開発機構 招へい職員
2015年:日本赤外線学会 会長(~2017年5月)
2022年:立命館大学理工学部退職
1988年:第20回市村賞貢献賞、1992年:近畿地方発明表彰特許庁長官賞などをはじめ、多数の賞を受賞
私が三菱電機に入社した1976年は通商産業省の半導体プロジェクトが始まった年でした。私もLSIの研究部門に配属されたのですが、会社には既にこの分野の専門家が多くいて新入社員はお手伝い程度の仕事しかありませんでした。入社して4年くらい経ったときに、鎌倉製作所から赤外線イメージセンサの開発依頼があったのですが、当時の開発部門の一番の花形はDRAMで、研究所の九割近くの人が手掛けていたため、赤外線に興味をもった人は誰もいませんでした。
お手伝い程度の仕事が面白くなかったこともあって1か月の期限つきで赤外の仕事を引き受けたのですが、約束期限の1か月を過ぎても引き継ぐ人が誰も見つかりませんでした。お手伝いだけのDRAMの仕事よりはいいと思ってそのまま続けることにしたことで、私の赤外の長い開発人生が始まりました。
開発は設計と評価を担当する私とプロセス担当者の2名だけでスタートしました。また、三菱電機社内には赤外線関係の技術が全くなかったため、アメリカのRCAの空軍委託研究レポートを取り寄せて真似をしながら始めました。二人だけですからあらゆることを自分たちでしなければなりませんでしたが、4年間のお手伝い時代に身に着けたマスク設計や評価方法がこのときに役立ちました。何が自分にとって良いことなのかは、あとになってみないと分からないこともありますね。
1980年5月に開発を始めて81年のお正月明け頃に、下のような画像が出ました。この画像は照明のない真っ暗なところで撮影したものです。64×32画素のためモザイクのような画像ではありますが、画像が見えたことが大きな衝撃でした。
これを機に、一番大きなものをやろうということになり、256×256画素を手掛け、様々な問題や課題にぶつかりながらも順調に進んで3年くらいで画素数では世界のトップレベルになりました。当時はアメリカでもこのクラスのものは作られていなかったので評判になり、注目されました。
512×512画素
この256×256画素は防衛省に納めるために開発しましたので、別で512×512画素を独自の開発方式で作りました。これも当時は防衛でしか使い道がないと思われていたのですが、民需として売り出してはどうかという話になりました。それで、このデバイスを搭載した世界初の商用電子走査方式赤外線カメラを作りました。1988年にSPIE(「The International Society for Optical Engineering(国際光工学会)に出展して初めて海外で紹介したところ、日本のように防衛に力を入れていない国が、民需製品を出してきたということで大変驚かれました。
数年後のSPIEくらいからデュアルユースといった話が出てきたと思います。当時のNHKの特集のなかで、デュアルユースの一例として取り上げられたことを覚えています。
1987年にデバイスを学会に発表し、88年には海外に売りに行ったという、今では考えられないスピードでした。当時は全ての技術が社内にあったので、皆で一斉に取り掛かり完成させることができましたが、今はそういうわけにはいかないでしょうね。
ところが、話題にはなったのに販売数がなかなか伸びませんでした。初年度に世界で100台くらい売れたのですが、あとから考えると海外の研究開発需要で、そのうちに非冷却タイプの開発が始まったため2006年で冷却タイプの開発は終了しました。
三菱電機は今でも独自方式での非冷却を続けています。私たちが独自方式を始めたきっかけは、当時非冷却で重要な特許をもっていたハネウェル社を意識したからです。会社としては特許費用を支払わなくてもよい非冷却センサを開発したかったので、別方式となるSIOダイオード方式で始めました。ダイオードを温度センサとして使用しているのですが、ミラーを動かして画像を作るTIのDigital Micro Mirror Deviceから着想を得た技術です。
赤外線イメージセンサは様々な分野で役立っていますが、日常生活で目に触れることが少ないためイメージしにくいかもしれません。
<活用事例>
1) 監視、セキュリティー、救難:重要施設の周辺監視、海上保安、海難救助、国境監視、防犯など
2) 設備診断:電気設備、回転機、熱交換器などの機器の異常を非接触で温度上昇として診断
3) プロセス制御、製品開発:鉄鋼プロセスでの非接触温度計測、自動車のエンジン、ブレーキなどの設計評価など
4) 非破壊検査:建物、橋梁、航空機など破壊検査ができない構造物の内部欠陥を温度の過渡的な変化で検出
5) 消防:消防救護、山火事検知と監視
6) ガス漏れ検知:ガスの赤外線吸収特性を利用してメタンや二酸化炭素などの温暖化ガスの漏れを検知、排出量削減の取り組みに活用
7) 自然観測:地球観測、火山観測、天文観測(すばる望遠鏡は光学赤外線望遠鏡)、惑星探査(金星探査衛星「あかつき」などに搭載)
赤外で最近注目されている分野は、車載用安全装置としての活用です。
2024年にアメリカの道路交通安全局(NHTSA)が自動車と歩行者の衝突リスクを低減させるための新たな安全基準を発表しました。歩行者を検知して自動ブレーキをかけるシステムの搭載が義務付けられることになります。アメリカでは歩行者の死亡事故が増えていて、その死亡事故の8割近くが暗くなってから起きているため、可視カメラではなく、赤外カメラが有効になります。
これまでは、車載用赤外の分野はブレイクしてきませんでした。様々な要因はありますが、画像を見せるだけだった点が広がらなかった一因です。今後はブレーキを操作するという安全性に関与するため、これまでと考え方が全く変わる可能性がある気がしています。車の安全装置を動かすというブレーキを踏むところにまで踏み込むと、画像を見るわけではないので搭載が必須になる可能性も出てきますので、今後の広がりが期待されます。
入社以来ずっと赤外線イメージセンサの開発を続けていましたが、2004年になって担当部門を異動する話になりました。技術的な部分について赤外関係以外は詳しく知らないので、赤外を離れたら残っていてもあまり意味がないんじゃないかと感じていました。同じ年に立命館大学がマイクロ機械光学課の講座を新設する話があり、前年の2003年に応募を進められたのですが、そのときには一度お断りしたのですが、部門異動の話を受けて、あとひとり残っていた応募枠に駆け込みで申し込み、大学に移りました。
企業から大学に異動した当時は失ったものも多かったですが、大学に移ったからこそ今のように多くの企業の方とご縁を結ぶことができました。企業にいたら絶対にできなかったとことです。こういったご縁を基に、現在力を入れて取り組んでいる赤外線アレイセンサフォーラムを始めました。
立命館大学に移ったあとの2009年に始めた会合です。当初は50人ほど集まればよいかなと思っていました。この年は新型インフルエンザが世界的に流行した年で、フォーラム開催の一週間前に会場の立命館大学びわこ・くさつキャンパスで感染者が一名出たため開催が延期になりました。仕切り直して7月に開催したところ、200名以上の方が集まり、これほど多くの方が日本で赤外線に関わっていることに大変驚きました。
フォーラムは一番多い時で400人を超え、今でも200~300人くらい集まります。人数が増えたことで、びわこ・くさつキャンパスから大阪いばらきキャンパスに会場を移しました。展示会も立食形式にしており、気楽に楽しんでいただけています。
2025年で16回目となりますが、多くの企業の方が参加してくださるフォーラムに成長しました。日本の多くの学会や研究会は、基本的に大学の先生が主体の会合となっています。私が民間企業出身のため企業が集まれる場所が日本にはないと思っていたので企業が集まれる場所にしたいと思って始めました。そのため、企業の方が宣伝の場として講演していただいても結構ですし、そういった取組みのおかげで人が集まり、情報交換の場となっています。このフォーラムに来ていただければ赤外関係の人がほとんどいるので色々なところに行くよりもはるかに効率よく多くの方に会えますよ。
可視光のレンズが使えない赤外線にとって光学レンズはとても重要な存在ですが、コスト面が大きな課題です。自動車関連の話が盛り上がっていますが、最終的にはレンズのコストが一番問題になると思います。車載カメラ全体で100ドル以下というのが目安になっているようで、イメージセンサは半導体技術のため数量が多くなれば価格を下げられると思いますが、レンズは材料と加工の部分で簡単にはコストを下げることは難しいようです。レンズの材料となるゲルマは中国が輸出制限する可能性もありますし、現在は価格も高騰しています。
そのため、光学業界には低コストで量産できるレンズの開発を期待します。
◆赤外線アレイセンサフォーラム2025のご案内( https://irasf.hacca.jp/ )
日時:2025年7月18日(金)11:30~19:00
場所:立命館大学大阪いばらきキャンパス
立命館いばらきフューチャープラザ2階グランドホール、1階イベントホール